第一節 神の創造目的完成と人間の堕落

(一)神の創造目的の完成

既に創造原理において詳細に論述したように、神が人間を創造された目的は人間を見て喜ばれるためであった。従って、人間が存在する目的はあくまでも神を喜ばせるところにある。では、人間がどのようにすれば神を喜ばすことができ、その創造本性の存在価値を完全に現すことができるのであろうか。人間以外の被造物は自然そのままで神の喜びの対象となるように創造された。しかし人間は創造原理において明らかにされたように、自由意志と、それに基づく行動を通して、神に喜びを返すべき実体対象として創造されたので、人間は神の目的を知って自ら努力し、その意志の通り生活しなければ、神の喜びの対象となることはできないのである(マタイ七・21)。それ故に、人間はどこまでも神の心情を体恤してその目的を知り、その意志に従って生活できるように創造されたのであった。人間がこのような位置に立つようになることを個性完成というのである。たとえ部分的であったとはいえ、堕落前のアダムとエバが、そして預言者達が、神と一問一答できたということは、人間に、このように創造された素質があったからである。

個性を完成した人間と神との関係は、体と心との関係をもって例えられる。体は心が住む一つの家であって、心の命令通りに行動する。このように、個性を完成した人間の心には、神が住むようになるので、結局、このような人間は神の宮となり、神のみ旨どおりに生活するようになるのである。それ故、コリントI三章16節に、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」と記されているのであり、また、ヨハネ福音書一四章20節には、「その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう」と言われたのである。このように、個性を完成して神の宮となることによって、聖霊が、その内に宿るようになり、神と一体となった人間は神性を帯びるようになるため、罪を犯そうとしても、犯すことができず、したがって堕落することができないのである。個性を完成した人間は、即ち、神の創造目的を成就した善の完成体であるが、この善の完成体が堕落したとすれば、善それ自体が破壊される可能性を内包しているという、不合理な結果になるのである。そればかりでなく、全能なる神の創造なさった人間が、完成した立場において堕落したとするならば、神の全能性までも、否定せざるを得なくなるのである。永遠なる主体としていまし給う、絶対者たる神の喜びの対象も、永遠性と絶対性を持たなければならないのであるから、個性を完成した人間は、絶対に堕落することができないのである。

このように、個性完成して、罪を犯すことができなくなったアダムとエバが、神の祝福なさったみ言どおり(創一・28)、善の子女を繁殖して、罪のない家庭と社会とをつくったならば、これが即ち、一つの父母を中心とした大家族をもって建設されるところの天国であったはずである。天国はちょうど、個性を完成した一人の人間のような世界である。人間において、その頭脳の縦的な命令により、四肢五体が互いに横的な関係をもって活動するように、その社会も神からの縦的な命令によって、互いに横的な紐帯を結んで生活するようになっているのである。このような社会においては、ある一人の人間が苦痛を受けるとき、それを見つめて共に悲しむ神の心情を、社会全体がそのまま体恤するようになるから、隣人を害するような行為はできなくなるのである。

更に、如何に罪のない人間達が生活する社会であるとしても、人間が原始人達と同じような、未開な生活をそのまま送らざるを得ないとすれば、これは、神が望み給い、また、人間が乞い願う天国だとは到底言うことができないのである。従って、神が万物を主管せよといわれたみ言の通りに(創一・28)、個性を完成した人間達は、科学を発達させて自然界を征服することによって、最高に安楽な社会環境をこの地上につくらなければならない。このような創造理想の実現されたところが、即ち地上天国なのである。このように人間が完成して地上天国の生活を終えたのちに、肉身を脱ぎすてて霊界に行けば、そこに天上天国がつくられるのである。故に、神の創造目的はどこまでも、まず、この地上において天国を建設なさるところにあると言わなければならない。

(二)人間の堕落

創造原理で詳述したように、人間は成長期間において、未完成の立場にあるとき堕落したのであった。人間に、なぜ成長期間が必要であったか、また、人間始祖が未完成期に堕落したと考えざる得ない根拠はどこにあるのか、という問題等も、既に創造原理において明らかにされている。人間は堕落することによって神の宮となることができず、サタンが住む家となり、サタンと一体化したために、神性を帯びることができず堕落性を帯びるようになった。このように、堕落性をもった人間達が悪の子女を繁殖して、悪の家庭と悪の社会、そして悪の世界をつくったのであるが、これが即ち、堕落人間達が今まで住んできた地上地獄だったのである。地獄の人間達は、神との縦的な関係が切れてしまったので、人間と人間との横的なつながりもつくることができず、従って、隣人の苦痛を自分のものとして体恤することができないために、ついには、隣人を害するような行為をほしいまま行なうようになってしまったのである。人間は地上地獄に住んでいるので、肉身を脱ぎ捨てた後にも、そのまま天上地獄に行くようになる。このようにして、人間は地上・天上ともに神主権の世界をつくることができず、サタン主権の世界をつくるようになたのである。サタンを「この世の君」(ヨハネ一二・31)、或いは「この世の神」(コリントII四・4)と呼ぶ理由は実にここにあるのである。